2015年1月31日

“体験化”する音楽〜情報理論でひも解く音楽の有限性

 かの作曲家事件に関して、音楽評論家による「和洋中なんでもござれの定食屋」という批判があったが、違和感をもった。件の曲はクラシックの体裁をまとっていても、実質、ポピュラーな音楽である。ゲームの音楽をオーケストラが演奏するのも楽しいものであるが、クラシックと同列での批評に耐えるものにはなりえない。

・朝日新聞「物語と音楽の矛盾に違和感 佐村河内守氏の問題」(2014年2月18日)
 http://www.asahi.com/articles/ASG2C2QBTG2CUCVL003.html

・NHK 科学文化部「代わりに作曲の男性謝罪「私は共犯者です」」(2014年2月6日)
 http://www9.nhk.or.jp/kabun-blog/700/180524.html

 お決まりのわかりやすいメロディーやリズムを多用するポピュラーな音楽は、必然的に「定食屋」となる。そうしておかないと、客が「うまい」と感じないのである。つかみどころがなく難解であったり、構成が複雑すぎたりすれば、頭の中で反すうするのも難しくなってしまう。上を向いて歩きながら口ずさもうにも、カラオケで歌おうにも、わかりやすさが欠かせない。似たようなことは、初修者向けの練習曲や学校向けの合唱曲、アマチュアが多い吹奏楽曲などにもいえることで、そこでは「後世にのこる芸術的価値!」よりも、演奏のしやすさが優先される。機能や役割が違うものを、同列には批評できない。

 毎週土曜日の朝は、現代音楽とともに目覚めることとなる。NHK・FMの「現代の音楽」を毎週欠かさず、しかし半ばまどろみながら聴くともなしに聴いている。時々、ハッとさせられる曲に出会う。2015年1月17日の「ユートピア〜どこにもない場所〜作品142」(権代敦彦・作曲)は、そうした曲の一つであった。

・日経電子版ライフ「NHK交響楽団「ミュージック・トゥモロー2014」 「ユートピア」追い求める 日本の現代音楽の今」(2014年7月8日)
 http://www.nikkei.com/article/DGXNZO73592590R00C14A7000001/

 > 今年のN響の委嘱作品は権代敦彦の「Utopia(ユートピア)〜どこにもない場所〜作品142」。権代の新作で、この日が世界初演となる。

 > 「曲は『ミ♭・レ・ド』の3つの音で全部できている。会場に『ミ♭・レ・ド』がまん延する。『ミ♭・レ・ド』だけでどこにも行けない。どこにもない場所、それがユートピアです」と権代はプレトークで自作を説明した。

 > しかしどんなに変奏され、どんな音響や音色が降りてこようが、最後には「ド」の壁に行き着くしかなく、その先へはどうやっても行けない。彼の論理と哲学に思わず笑いがこみ上げてくる。

 > それでも出口が見つかるのではないか、ユートピアはあるんじゃないのか、と思わせたのが最後のカーンという鐘の音だ。鐘に音程が無ければ、打楽器や自然音が突破口になりそうだ。しかし演奏会後に権代に聞いてみると「あの鐘の音は『ド』。音程はちゃんとあって、やはり『ド』です」。

 世界初演の曲をホールでいきなり聴いて、曲の印象をつかむというのはかなり難しい話である。この公演のチケットを買おうという人は、かなり限定される。普通のクラシックの公演にしか行かない人が間違ってチケットを買ってしまったら、なんだこれは、となるに違いない。私もFMで聴くのが精いっぱいである。まったく知らない曲を聴くときは曲の展開が読めず、一音一音を分析的に聴くことになってしまう。そして、まんまと作曲者の狙いにはまっていくのである。FMでも、曲の前には簡単な解説しかなく、同じ音が延々と出てくることだけが説明された。そこに打楽器とは反則ではないか、と憤りつつも、もはや笑うしかない。

 現代音楽は実験精神が旺盛である。そのため「定食屋」にはならないものの、日本人が作曲をすれば、どうがんばっても「和洋折衷」の雰囲気を拭いきれない。クラシックの本場から見れば、どこかの東洋人が好き勝手に「創作料理」を作った、としか見られていないはずである。すばらしい、美しい、でもクラシックではない、と。このような矛盾や葛藤は同じヨーロッパの中にも見られ、東欧や北欧の作曲家は、自らの土地の民族音楽の影響を免れない。フィギュアスケートや水泳のシンクロなどの世界でも、似たようなものだろう。あざとくエキゾチックな演技をすれば、物珍しさからの拍手喝采で銀メダルは取れようとも、金メダルは取り得ない。金メダルとは、拍手喝采の中で得られるものでなく、小難しい顔をした審査員を完璧な演技で屈服させて勝ち取るものである。ここでは、会場の観客(歓ぶだけの「歓客」かもしれない)は客ではなく、審査員こそが客である。

 落語では、寄席の常連客の厳しい反応が若手落語家を育てるといわれる。特定の客を念頭に作品や演技を作っていくのは、上達や評判への近道である。作り手が自分の世界だけで完結させるのは、かえって難しい。クラシックとて、その名(classic=一流の、高尚な)の通り、客たる貴族の求めに応じて作曲されてきたという歴史がある。「作曲家の孤独な苦労」という精神性の物語を消費させようという、およそ一流らしからぬ話でなければ、作品の質を高めることが最優先で、どんなものでも、客の反応を予想したり、できるなら実際に確かめながら作っていくということが必須となる。ある程度は客の求めに応じることも、評判を得るためには必要なことである。アラブの文化への興味が高まれば、アラブ風のフレーズを入れてみたりもする。落語でも、グリム童話を翻案したとされる「死神」があったりする。

 音楽のバリエーションは無限であるかのように思われているが、そうでもない。メロディー、リズム、楽器編成のそれぞれに分解してみれば、自ずと組み合わせに制約がある。組み合わせて心地よいものもあれば、わろいものもある。いわゆる和音の理論として既に体系化されているように、心地よい組み合わせは圧倒的に少ない。取りうる組み合わせ数は大幅に減ることになる。

 テルミンや雅楽、バリ島の音楽のようなアナログな(西洋の音階でいう半音より細かい〜無数に細かい=音階がない)ものは別として、デジタルな音階である限り、組み合わせは有限である。組み合わせを使い果たしてしまえば、後は「昔の誰それの楽曲と似ている」となるのは必然である。それを避けるべく、未だ使われていない組み合わせを模索していくと、それは先人たちが使わなかった「残りかす」であったり、いかにも音楽らしいものとそうでないものとの境界上にある「ごちゃまぜなもの」、すなわち「なんでもござれ」になっていくしかないといえる。

 心地よい、または音楽として認識できるリズムやテンポにも制約がある。楽器編成も、人々が聞き慣れた定番の編成こそが心地よく、凝れば凝るほど「奇をてらった感」ばかりが先行してしまう。鎖をガチャン、ガラスをキーキー、ハンマーでトンテンカン、とするのもないではないが、あくまで「実験的音楽」の域を出ない。レコードの逆回転やスキップの類も、おもしろくはあるが、音楽の枠の外での楽しみのように思える。

 といった理解は、数学や情報理論と音楽の両方を嗜む人々の間では、ほぼ共通の認識になっているのではないかと想像する。その上で、今後いかにして新しい音楽的体験(musical experience)を作っていくか、ということが課題となる。いわば「音楽」の再発明である。体験とはいっても、いわゆるサウンドスケープの設計とは異なり、あくまで音楽性を獲得したい。風や波の音はサウンドであるが、動物の声や雨だれの音は音楽にもなりうる。人が音楽だと認識できるのはどこからどこまでか、その境界を探る研究ともいえる。

・個人のブログ「情報理論と音楽 旋律の有限性A」(2013年8月9日)
 http://ameblo.jp/sound-army/entry-11589547871.html

 > 音楽は、よく 「時間方向(横方向)へ展開される芸術」 と言われる。リズム(Rythm)の概念を説明するだけなら、それで十分である。
 > しかし、狭義の音楽は音の高さ(ピッチ)の変化にも大きな価値が置かれるものであるから、厳密には 「周波数方向(縦方向)へも展開される芸術」 でもある。

 > なんと! 1小節で作れるリズムパターンは、たったの255種類しかないのである。

・個人のブログ「音楽のしくみ −DAW世代は物理から音楽の構造をひも解く−」(2013年10月16日)
 http://yosshibox-tech.hatenablog.com/entry/2013/10/16/190145

 > 環境を用意して演奏者が4分33秒間なにも音を発しなかったとしても、その環境自体が作為的に作られてるので、その場合の環境音は作為的です。

 > ストリングスカルテットが飛行機に乗りながら楽器を弾くのだけど、ヘリの音とかも編曲に入るカールハインツ・シュトックハウゼンの「ヘリコプター弦楽四重奏曲」なんていうのもあります

 > やっぱり幼少期に感電してたりするんだろうか・・・

・個人のブログ「ACの法則は感電にあった!!」(2004年10月1日)
 http://d.hatena.ne.jp/softether/20041001

 > ACな人は、誤って感電してしまうようなことをするほど好奇心があるのだと思います。ACと感電に相関があるのは分かりますが、感電したからACになるのではないと思います。

・企業メセナ協議会「メセナアワード 1995」
 http://www.mecenat.or.jp/ja/award/post/awards1995/#awards1

 > メセナ大賞 TOA株式会社
 > ジーベックホールを中心として行っている音文化啓蒙活動

 > 音響機器メーカーTOA(株)は1989年に、神戸ポートアイランドの本社ビル竣工と同時に「音の情報発信基地」としてジーベックホールをオープンした。
 > 主な活動の内容としては、
 > 1現代音楽やコンピューターを用いた音楽表現のための実験、音の役割を再発見するためのパフォーマンスやイベントなどの自主公演や支援活動
 > 2民族音楽、民族楽器の紹介やイベント活動
 > 3音の役割、音の重要性を、レクチャーと体験・実験で学ぶ「サウンド&アートワークショップ」の実施
 > 4音の役割を意識してもらうため「サウンドスケープ」への関心を高めるためのイベントやコンサートなどの実施、などがあげられる。
 > 独自の理念をもって、興行的には成り立たない実験的、先進的音楽を積極的に取り上げてきたこのホールのユニークな活動が高く評価され、本年度の大賞に決定した。
 > なお、1995年1 月の阪神大震災のため、ジーベックホールは休業を余儀なくされていたが、6月末からホールを再開することができたことも追記する。

・TOA株式会社「音風景」
 http://www.toa.co.jp/otokukan/otofuke/

・人工知能学会「複雑性の変化による期待的情動のモデリングに基づいた音楽的雰囲気の生成」(2013年)
 https://kaigi.org/jsai/webprogram/2013/pdf/38.pdf

 いいようがないので「音楽的雰囲気」と呼んでみた(仮)、といったところか。短いフレーズがどのような印象をもたらすか。以前に書いた、質感を超えた質感としての「浮遊感」の話題とも似ている。素材や音楽の全体から受けるトータルな印象でなく、個々の刺激から脳がどんなヨロコビを得るのか、知覚体験としての評価に軸足が移ってきているということである。とはいえ、この手の話を突き詰めると、脳がヨロコビ、すなわち何らかの感触を知覚できさえすれば、想像でも夢の中(睡眠中のソレ)でもよく、質感や印象の担保となる実体はなくてもよいことにすらなる。「定食屋」どころか、とりあえずビール、もはやゴーストでもなんでもござれ、である。研究としてはもちろん、ゴーストであっては話にならない。そのままでは扱いようのないものを、どうすれば扱えるようにできるかが、研究者の腕の見せどころである。

 前段では「残りかす」だとしたが、本当に「残りかす」しか残っていないかどうかは、すべての組み合わせを調べてみないとわからない。とはいえ、すべての組み合わせを人が評価するのは困難である。そこで、おおよそどのような傾向の組み合わせであれば人が心地よいと感じるか、をモデル化することとなる。よいモデル化ができたなら、人が評価すべき、いわば「有望な組み合わせ」の数を、大幅に絞り込むことができる。

 将来的には、プロの作曲家という職業は成り立たなくなる可能性が高い。実演家は常に必要とされ続けるだろうが、ポピュラーな音楽における新曲はコンピュータに作らせたほうがはるかに楽でバリエーションに富み、しかも高品質だということになっていくだろう。クラシックにあっては、そもそも新曲の需要がない。現代音楽、実験的音楽の世界がどうなっていくのかはよくわからないが、ポピュラー寄りになればポピュラーと同じ帰結になるだろう。現代音楽が「現代音楽らしさ」に拘泥したならば(既にそうであるように思える)、それはもはや2代目のクラシックであって、新曲が作りにくくなると同時に新曲への期待もされなくなっていくのは先代と同じである。

 とはいえ、いま作曲家と呼ばれる人たちがまったく不要になるというわけでもないだろう。作曲という根幹のプロセスがコンピューターの知能によって代替されようとも、「こんな曲がほしい」という要望をヒアリングして客のイメージ通りの曲を提供する仕事は、なくなるものではない。客の要望を、コンピューターが理解できるモデルに落とし込む能力や、自動作曲のアルゴリズムがはじき出した候補の中から最適なものを選ぶ能力など、人が持つ専門性や創造性に依存する部分は、きっと残るはずである。逆に、ここが残る限り、自動作曲によるアシストがあろうともクリエイティブな作業であることには変わりがなく、これまでのように作曲家と呼ばれるかは微妙としても、何らかのアーティストとみなされる仕事であり続けることは疑いようがない。
posted by tht at 06:00 | コメント (0) | トラックバック (0) | ながめよみのすすめ
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