2006年8月29日

Wikipedianに捧げる「百科事典の書きかた」

 多くの人がWikipediaに対して抱く違和感を、Wikipedian(Wikipediaに賛同し、利用し、編集する人)たちの多くは理解していない。

 Wikipediaの記述は確かに正確だ。項目も多岐にわたる。そのこと自体に問題はない。しかし、百科事典が存在する意義、百科事典とはこういうものであるという基本的な認識が共有されていない。平たく言えば、百科事典など触ったこともない人たちが先を争って編集レースをして遊んでいる…Wikipediaから距離を置く人には、そんな風に見えているのである。

 もちろん、従来の紙の百科事典とウェブ上の百科事典、とりわけ誰でも編集できる事典となれば、編集のしかたも項目の立て方も違ってくるのは当然だ。そうでなければ新しいものを作る意味もない。とはいえ、これまでの百科事典が積み上げてきた編集のノウハウには学ぶところが多いはずである。美術でも武術でも、自分なりの創作をできるのは型を一通り学んでからである。型も学ばずに「自分流」と称していては、誰からも評価されないだろう。

 このことは「Wikipedia:基本方針とガイドライン」にも明記されている。

 > ウィキペディアは百科事典 - これ以外に目的はありません。詳細はWikipedia:ウィキペディアは何でないかを参照してください。

 その「Wikipedia:ウィキペディアは何でないか」には、さらに次のように書かれている。

 > もちろん、「紙製の百科事典ではない」ということは、百科事典の定義から逸脱して好き勝手に編集してよいという意味ではありません。
 > ウィキペディアは辞書ではありません

 わざわざ書いてあるということは、それだけ辞書と百科事典の違いが理解できていないWikipedianが多いということだろう。市販されている電子辞書に百科事典のダイジェスト版が搭載され、まるで辞書のような形式で記事が表示されることにも遠因があるのかも知れない。Wikipediaの編集に参加する以前に、一度は紙の百科事典に触れてみる機会を持ちたいものである。アカウント発行の前に、特定の事典のある項目を全文書き写させて、確かに紙の事典を見たことを確かめるテストでも設けてみてはどうか。出題された項目を事典から発見できないとなれば情報収集能力に問題あり、ということになるし、書き写すだけなのに誤字脱字があれば、編集に参加してもらうには心許ない…といったこともわかって、一石二鳥にも三鳥にもなるだろう。

 冗談はともかく、手元に百科事典がないので、MSNエンカルタ百科事典のダイジェスト版で試してみた。「POSシステム」と「トレーサビリティ・システム」を比べてみよう。

 「POSシステム」は既に確立された、長い運用実績のあるシステムである。これから説明を変更する必要は恐らく生じないであろうという、スタティックな(静的な)項目といえる。それを反映して、事典の項目は「プロローグ」「POSシステムの仕様」「POSシステムの特徴」「今後のPOSシステムの利用」という構成になっている。これは、POSシステムというものを中心に置いて、その周辺の状況を過去・現在・未来に分けて説明していることになる。

 一方の「トレーサビリティ・システム」は、近年に登場した新しいシステムである。まだ試行錯誤が繰り返されている段階で、確立されたものとは言いにくい。状況の変化によっては説明を変えなければならないこともあるかも知れないという意味で、ダイナミックな(動的な)項目といえる。火山で言えば、活火山のようなものだ。従って、事典の説明は簡潔に、現在の状況をまとめておく程度で済ませておくのがいい、ということになる。

 で、本題は「東京圏輸送管理システム(ATOS)」の説明である。一民間企業の中で完結している一システムに過ぎないのがATOSであり、そもそも百科事典の項目にはなじまない。載せる必要性がどこから生じるかといえば、中央線のトラブルの原因になって社会的に大きな影響を与えたという点である。いわば、ATOSというのは「時事問題」なのである。

 従って、ATOSとは何かということを事細かに解説する必要もなければ、ニュース速報よろしく最新の動きをいそいそと追加していく必要もないのである。要は、ATOSというものがどういうものであるかということそのものはどうでもよく、ATOSというものが人々にどんな影響を与え、また今後与えていくのかということに焦点を絞る必要があるのである。

 MSNエンカルタでいえば、「運行管理システム」は「新幹線」の中の一項目として登場するのみだ。それも、「プロローグ」「東海道新幹線」「新幹線の技術」「運行管理システム」「広がる新幹線網」「新幹線の影響」「整備新幹線」という大きな時間の流れの中に、ぽつねんと座っているのである。「運行管理システム」の項目があるのは、運行管理システムについて説明するためではなく、新幹線というものを説明する中で必要に迫られて補足的に説明するためなのである。

 具体的には、「あの地震大国ニッポンで、どうしてあんなに高速な列車が長年無事故で運転できるのだろうか」という文脈の中で、ユレダスやATCを含めてシステムが説明されているわけだ。運行管理システムそのものはバックエンドのシステムであるから、一般の人には関係がない。しかし、安全を確保するための装置の一つとしては、一般の人にも大いに関係がある。その関係性に基づいて、関係する部分のみを簡潔に説明するというのが、百科事典の書き方なのである。

 運行管理システムを独立した項目にして、運行管理システムとは何か…とだらだら説明していくというのは、レースのスタート地点で後ろを向いているようなものなのだ。これではどう頑張ってもまともなレースはできない。
posted by tht at 11:24 | コメント (0) | トラックバック (0) | 未分類
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