2008年12月30日

『余談』の集積がウィキペディアを豊かにする

 2007年1月3日。ウィキペディアで「余談OR蛇足」と入力して全文検索すると、485件の記事がヒットする。全体では「約319,973本の記事」があるとされているので、約0.2%の記事に「余談」もしくは「蛇足」が書かれている計算になる。

 2008年12月30日。同条件でヒットする記事は2,616件に増えていた。全体は「約548,788本」だという。この2年間で、記事数の増加が1.7倍のところ、「余談OR蛇足」の増加は5.4倍に及ぶことになる。

 とはいえ、それでも全体の約0.5%の記事にしか書かれていないので、少ないといえば少ない。しかし、何となくウィキペディアを引いた時に「余談OR蛇足」に遭遇することは、この数字以上によくある気がする。もしかすると、「余談OR蛇足」の出現は、記述の充実度や書き手の幅の広さなど、何がしかの特性を如実に示すバロメーターになっているのかも知れない。

 大勢を前に話すときには、無意識のうちに遠慮して「余談になりますが」と前置きする場合がある。話し言葉と似た要素のあるエッセー風の文章を書くときにも重宝する言葉である。だが、論理的な文章を書くときには無意識ということがあってはいけない、というのが常識だった。

 例えば、新聞の記事に「余談ながら」というくだりが出現するだろうか。エッセー風の連載記事、寄稿、投稿、誰かの発言といったものは別であるが、新聞社の記者が書き、デスクが了承し、校正部が校閲した記事に「余談」があるはずがない。「余談ながら」という断りがなくとも、余談にあたるような部分があれば即刻、削られる。「デスクがアホやから記事が書けへん」と(心の中で)叫んでも、削られるものは削られる。それが新聞というものだ。

 百科事典の記事には、新聞記事と同等、もしくはそれ以上の正確さと論理性が求められる。ウィキペディアが百科事典である限り、「余談」などあってはならないという理屈になるわけであるが…しかし、書こうとすると思わず「余談ながら」と頭につけたくなるような内容があるのも事実だ。紙面に限りがあるわけでもなく、余談が余談として載っていて困ることもない。むしろ重宝することもある。余談を余談として書いておき、後に独立した項目に移せるなら移す。余談であること以外に問題のない記述であれば、わざわざ削除する必要はないだろう。

 あまり真剣に履歴を見比べたりしているわけではないので恐縮だが、現在のウィキペディアでは概ね、上述のような「運用」がなされているように見受けられる。そして、それはとても理にかなったことであると同時に、ウィキペディアが新しい性質を持つメディアであることを端的に示しているように思う。

 知識というものにも「ライフサイクル」がある。

 ある知識が発見されたとする。論文として公表される。インパクトの大きいものは一般のニュースになる。やがて本になり、事典の項目になり、教科書に載るようになる。義務教育で教えられ、世の中の「常識」になる。やがて時代が変わると教科書から消え、誰も話題にしなくなる。

 それでも残っているのが、新聞の縮刷版と百科事典の項目である。後世に伝える役割を果たすメディアなのである。そして、その物理的なメディアを保管する場所として図書館があるというわけだ。

 ウィキペディアは、知識の一連のサイクルすべてを一手に担えるメディアになれる下地がある。ウィキペディアは、それ自体が図書館や博物館のようなものでもある。図書館はともかく、博物館には常設展示だけでなく企画展示もあり、その時々の旬なテーマも取り込んでいく。ウィキペディアに「ニュース速報」を書き込むことは、従来の紙の百科事典からすればとんでもないことであるが、実は理にかなったことをしているのかも知れない。

 そして、「余談OR蛇足」である。これは、ウィキペディアという博物館を訪れた見学者が展示を前にして思わずつぶやいた独り言である。腕利きの学芸員であれば、これを聞き逃さず展示に反映させたいと思うことだろう。見る側の声を排除してしまったら、展示内容が画一的になるか、自己満足に終わってしまう。

 似たようなことを、ちょっと上の世代は紙の辞書でやってきた。古い辞書を使い続け、自分なりの書き込みを加え、世界で唯一の「マイ辞書」(今風に言えば)を作ってきたのである。辞書を鵜呑みにせず、自分なりに咀嚼してから使うという意味もあった。

 今は新語のサイクルが短くなっているので、新しい辞書を次々に買って欲しいと、かの有名な辞書の執筆者が言っていたように記憶しているのだが、いつ、どこで言われたものかは思い出せない。似た話としては、「現代用語の基礎知識」に「はてなキーワード」が発信源の新語を載せる話があった。

・ITmedia「「テラワロス」も現代用語――はてなキーワードと流行語の接点」(2005年11月4日)
 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/04/news030.html
 http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0511/04/news030_2.html

http://d.hatena.ne.jp/suijun/20081203/1228307200

 流行語とは、自然発生したものでないといけないという。メディアがしかけた言葉であって出所が明らかなものは、言語学的には流行語ではないそうだ。

・アスキー「Web時代の言語学 大規模Webアーカイブを使った新語分析 「ググる」「ファブる」……次の流行語はコレだ!」(2008年9月17日)
 http://ascii.jp/elem/000/000/168/168548/
 http://ascii.jp/elem/000/000/168/168548/index-2.html

 こちらは、大規模なウェブのアーカイブを使って、新語の発生から普及までを追う研究だという。出所がわかってしまったら新語ではないとすると…。いや、それを考えるのはやめておこう。こうした新語は、まさに「余談OR蛇足」といえる、個人の日記などを通してネット上に表出される。そのこと自体が、その言葉が日常の中で本当に使われているという貴重な証拠である。ウィキペディアに書かれる「余談OR蛇足」の中にも、そこに書かれることが多くなったことで、やがては一つの項目として独立していくものも含まれているはずだ。そういう「自然さ」が、ウィキペディアの信頼性にもつながっていくのではないだろうか。

 前回の記事から2年半近くが経ち、ウィキペディアが以前よりも広く社会に受け入れられているように思われる。今さら、ウィキペディアを目の敵にする人はそうそういないだろうし、検索結果にウィキペディアが出てこないようにNOT検索をするという人もいないだろう。特に何もしなくても、時間の経過が信頼性を醸成してくれるのかも知れない。

※なお、前回の記事では「Wikipedia」と表記しているが、ウィキペディアのサイト上で「ウィキペディア(Wikipedia)」と表記されているため、この記事以降は「ウィキペディア」と表記することにした。どちらの表記が主流かということについて当方は関知しないのであしからず。
posted by tht at 18:24 | コメント (0) | トラックバック (0) | ながめよみのすすめ
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