2007年1月30日

数えずに読みたい『バズ』〜「多様な消費者」と刮目して相対すべし

 インターネットは、クチコミの宝庫…もう少し消費者の尊厳を考慮した表現をするならば、草の根のコミュニティである。自分の声を他の人に伝えたいという、極めて素朴な感情から成り立っており、人々の「本音」が人々自身の労力によってデジタル化されている。膨大なメッセージの中には多種多様な考えが含まれている。

 従来型の企業は人々の声を分類したがる。効率を最優先するなら、分類の仕方はひとつしかない。「いい」か「わるい」か、だ。

・朝日新聞 be「ネット上の評判を分析 消費者の「本音」を集めて企業に」(2007年1月28日)
 http://www.be.asahi.com/be_s/20070128/20070110TKEZ0084A.html

・電通「ネット上のクチコミ調査・分析システム「電通バズリサーチ」を開発」(2005年6月)
 http://www.dentsu.co.jp/news/release/2005/pdf/2005034-0622.pdf

・ガーラ「バイラルリサーチ」
 http://sales.gala.jp/viral_r/index.html

・ガーラ「株式会社電通との業務提携によるインターネット上の「口コミ」分析サービス『電通バズリサーチ』リニューアルに関するお知らせ」(2006年11月)
 http://www.gala-net.co.jp/pdf/pr_20061130.pdf

 ガーラ自身が説明しているように、これは「種々雑多に存在するインターネット上のデータから“生の”顧客の声を収集し、分析するためのツール」であり、「消費者の本音や潜在的なニーズの発掘に」使うためのものである。しかも、かなり能動的に使いこなす必要すらある。何か信頼できる数字をポンと提供してくれるサービスではない。

 サービスを受ける側の企業にリテラシーが不足していると、せっかく集まった多様な意見を活かしきれないという事態が起こる。膨大な量の情報にパニックを起こし、パッと見て「どうせ大部分はつまらないメッセージなんだ」と思い込んでしまう。そうは言っても無視はできない。手っ取り早く活用するために、「いい」「わるい」に分類された数字を一種の「支持率」とみなすようになる。そして、他社の競合製品との間で数字を比較したり、部門ごとに競わせたりするようになる。最初のうちこそ、数字はただの目安に過ぎないことが暗黙のうちに了解されているわけだが、次第に数字を稼ぐこと自体が目的になっていく。

 これではまるで、テレビの視聴率である。例えば、視聴率の数パーセントの差に統計的な意味があるかどうかは、きちんと検定して見極めなければならない。放送の曜日も時間帯も、内容も視聴者の層も違う別々の番組を、同じ数字で評価することはできない。そのままの数字で比較できるのは、同じ番組の別の回ぐらいなものだ。CMの値段が単一の物差しで決まるシステムを作り上げた人々は、当然そのことを承知していたはずである。だが、結果的には数字が独り歩きを始め、「視聴率は低くても他にはない番組を作ってCM枠を高く売る」といった可能性は封じられてしまった。

 身近にも似たような例がある。職場なり学校なり地域なりで、意見が二分するような問題が起きたとする。途端に「アンケートをとろう」という人が出てくる。現状把握のために参考程度にアンケートをするのだと思って協力すると、いつのまにか賛否を問う投票に化けている。アンケートのつもりで答えるのと投票のつもりで賛否を決めるのとでは心構えが違う。投票なら投票だとして多数決かと思いきや、賛成のほうが多いにもかかわらず、反対の数が少なくないことを理由に「時期尚早」という結論が導き出されたりする。きちんとしたアンケートをするのは難しい。

 掲示板やブログで良く書いてもらうことだけを考えるような製品開発や広告戦略がとられるような世の中にだけは、なってもらいたくない。

・CNET Japan「「クチコミ」マーケティングは悪か?消費者団体、FTCにバズマーケティングの調査を要請」(2005年10月)
 http://japan.cnet.com/news/media/story/0,2000056023,20089316,00.htm

 「バズ」(buzz)というのは、虫がブンブンいう音から転じて人がガヤガヤ騒ぐこと、噂話の意を持つ語である。限りなくイメージのよくない単語である。「クチコミ」に何かカッコいい横文字をつけようとして「バズ」を選んだのだろうが、これは「バズワード」(もっともらしいけれども意味はあまりない専門語)に過ぎない。

 クチコミの分析機能に加え、クチコミを広めるソリューション(…というのもおかしなものであるが)を組み合わせて売り込むことになれば、おかしな事態が生まれる。自動的な分析機能の精度には自ずから限界があり、システムが判定しやすい紋切り型のブログ記事を大量に流せば、分析結果が簡単に操作できてしまう。広告の効果測定機能に最適化された広告が、果たして消費者の心に響くのだろうか。測定可能な広告効果が上がっても、測定しきれない「見えざる消費者」の信頼が下がっては意味がない。

 アンケートの例で言えば、それが投票でない限り、賛成の数、反対の数というのは意味がない。賛成にしても反対にしても、その意見にはどんな理由があるのか。それを丹念に見ていけば、たいていの問題は解決の糸口が見えてくる。最近は何かにつけて「賛成派」と「反対派」、「改革派」と「抵抗勢力」などと色分けするのがはやりだが、相反するように見える両者が実は同じものを求めているということもよくある。そもそも、人々の間に横たわる事実は一つしかない。そこから派生する意見のバリエーションには一定のパターンがあって当然だ。アンケートをとるまでもなく賛否両論の典型的な意見が思い浮かぶようなことも多い。

 聞くまでもなくわかることと、聞かないとわからないことを、予め見分けておく。そのために多くの人の生の声を、聞くともなしに聞いておく。自社の活動にブログのクチコミを活用したいなら、そのくらいの緩やかなスタンスで臨むのがベストではないだろうか。少なくとも、クチコミの自動評価というものが数字として見ることができる仕組みではないことだけは理解しておく必要がある。「いい」「わるい」の「多い」「少ない」は、まったくあてにならない。「いい」にしても「わるい」にしても、その内容としっかり対峙することが欠かせない。

 Amazonのレビューを考えるとわかりやすい。星の数だけを参考に商品を選ぶ人は、まずいないだろう。もちろん、レビューがたくさんついている商品が優れているなどということもない。参考にするのは、あくまで個々のレビューの内容である。書き手にとっては短所に映る商品の特徴が、読み手にとっては長所であったりもする。そうしたケースにおいては、全体の論調や星の数はまったく意味を成さない。レビューの中に織り込まれた「一つの事実」だけが、商品への「いい」「わるい」という評価を越えて、多くの人の役に立つわけである。

 ただ、インターネット上にある情報の絶対量は膨大で、常にすべての情報に目を通しておくことは不可能だ。必然的に、必要な情報を必要な時に入手して役立てることになる。そこで必要になるのが、個々バラバラの記述にいつでも到達できるという「アクセス性」である。(※先日の「タグ」について書いた記事も参照されたし。)クチコミの自動分析機能というのは、企業向けでも一般向けでも盛んに開発されている。(※先日の「WiPi」を取り上げた記事も参照されたし。)自動的に内容を分析して評価するという部分で各社がしのぎを削っているのだが、評価する機能そのものは単なる「おまけ」に過ぎない。

 アクセス性を保証するというのは、より多くの情報をより的確に引き出せる状態にすることである。あまりにノイズが多くては実用的でなく、フィルタリング機能が必要になる。情報を探しやすくするには索引も必要だ。自動的に索引付けをしたければ、内容の自動分類も必要になる。ただ、本来の目的に必要なのはここまでで、自動評価(ポジティブ/ネガティブの自動判定)というのは付加価値ということになる。どこも、いずれは判定の精度を高めて云々…というが、本気で高めるつもりはないのではないか。とすると、付加価値を除いた部分というのは、何だか見慣れたサービスのように思えてくる。

 Googleやブログ検索サイトだけで十分なのではないか。
posted by tht at 00:38 | コメント (0) | トラックバック (0) | ながめよみのすすめ
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