2014年2月21日

ただちにスパゲティとまではいえない

 昨年の2月5日、気象庁のスパコンが停止するトラブルがあった。「気象庁」「スパコン」というキーワードに、「ベンダ」「メーカー」「製造元」のいずれかを追加した3語のクエリで検索してこのブログに到達する方が増えている。具体的には、直近5日間の1日平均PV(ページビュー)に対し、40倍を超えるPVを記録した。

 …と書けば、アクセスが殺到したかのような印象が生まれるが、直近5日間の1日平均PVは2(0の日もある)で、2月5日は84である。「40倍を超えた」のは事実であるが、ただちに「アクセスが殺到した」とまではいえない。

 具体的な社名を挙げることは差し控えるが、企業のドメインからのアクセスが大半だった。いまどきはファイアウォールでの透過的なモニタリングシステムが充実し、社内から比較的自由にウェブを閲覧できるのだろう。このこと自体は、いまさらどうということもない。ここに何か問題があるとすれば、トラブルが起きたというニュースを見てから、ベンダを調べようとする人が少なからずいる、ということだ。業界人たるもの、気象庁のスパコンのベンダくらい、あらかじめ知っておいてほしい。というのも、具体的な社名への言及は避けるが、自社製のスパコンを持つ各社のドメインから軒並み、上述のキーワードによるアクセスがあったのである。

 やや筆が滑ったが、安心してほしい。かの有名なハインリッヒの法則に従えば、これは「1:29:300」の「300」に含まれる、軽微な事例といえよう。自社のスパコンが気象庁に納入されているかいないのかを知らないということから、さすがに本人はスパコンとは関係のない業務についているのだろうと推測できる。このこと自体は、さほど問題ではない。ここに何か問題があるとすれば、自社のことをよく知らない人が少なからずいる、ということだ。これは、ただちに業務に影響するものではないが、看過するには小さくない潜在的リスクである。気象庁のスパコンといった、ニュースリリースや事例紹介で取り上げられることの多い、シンボリックな案件であれば、スパコンとは直接関係ない人であっても目にする機会は多いはずだ。それにもかかわらず、知らない、覚えていない、という人がいるということは、他のもっと重要な通達がきちんと届いていない恐れがあることを意味する。あるいは、自分の部署の業務に直結しない話題が職場で語られない、雑談の機会が減っているということかもしれない。他人ごとながら、心配である。

 参考までに、エンドユーザである気象庁において公表されている詳細な資料を以下に示す。民間であれば、納入されたシステムの詳細な仕様は、契約上や今後の営業の都合などによって「当事者のみぞ知る」となるのが一般的であるが、気象庁のスパコンはさすがに税金で調達された公的なシステムであり、また、いわゆる「1位じゃないとダメ」の類でもない(性能向上の余力などを隠す必要がない)ため、「あたりまえのこと」として公表されている。今回トラブルが起きたシステムだけでなく、気象庁で行われるデータ処理の全体像、これまでの経緯から今後の見通しまでが網羅されている。当該システムのベンダおよびスペックを知るだけでは満足できないギークな方には、一読をおすすめする。

・気象庁「気象資料総合処理等業務・システム最適化計画」(2011年8月25日)
 http://www.jma.go.jp/jma/kishou/chousa/11-01.pdf

 あとはもはや言葉遊びの域であるが、「ベンダ」「メーカー」「製造元」のどれを使うと、どうなるか。いわゆるIT業界では、通常、0が5個も並べば「ベンダ」であって、ネットワーク機器で有名なC社が「メーカー」と呼ばれることは少ないように思う。NICの定番と呼ばれるI社は、0が3個しかない機種もあるが、上位機種には0が非常に多いものもあるため「ベンダ」と呼ばれる。中には例外もあって、0が6個あっても国内のB社は「ベンダ」とは呼ばれず、残念なことに「メーカー」と呼ばれる。このことから、0の数はあまり関係ないかもしれない。いや、筆が滑った。「ベンダ」と呼ばれないからといって、ただちに残念なメーカーであるとまではいえない。

 「製造元」はどうか。気象庁の文書においてすら「ベンダー」と表記され、数値予報資料が「プロダクト」と総称される時代にあって、やや古めかしい印象が拭いきれないが、ただちに古くさいとまではいえない。仮に古くさいとしても、このこと自体は大したことではない。ここに何か問題があるとすれば、もはや少数派になりつつあるかもしれない「製造元」という用語が、かつて多数派であったかもしれない時代の感覚そのままに、無自覚のうちに使われているのかもしれない、ということだ。Windowsの「マイ コンピュータ」が「マイ コンピューター」に代わって久しい。中には、日本語を半角スペースで分かち書きすることに未だなじめないという人もいる。いわれて初めて、無自覚のうちに分かち書き表記を受け入れていた自分に気づき、自分ごとながら心配になったものである。いや、安心してほしい。例え無自覚であったとしても、ただちに業務に支障をきたす恐れはほとんどない。現に、新聞の記事で「ソースコードと呼ばれるプログラム」と書かれていても、いわゆる「業界人」に苦笑いされこそすれ、ついぞ話は通じているではないか。およそプログラムというものは、スパゲティとも呼ばれるソースコードのようなものからできている、ということは残念ながら事実であり、仮に、いつソースコードと呼ばれてもおかしくないプログラムがマイ コンピューターの中にあったとしても、ただちに不安に思う必要はないのである。

 もう少しだけ「ソースコードと呼ばれるプログラム」について書いておくならば、未知語は原則、固有名詞扱いである。このため「『ソースコード』(固有名詞)と呼ばれるプログラム(名詞)」と表記される。要は、新聞記事という空間上で既知の語とマッピングさせているのである。

 読売新聞では「ソースコード(設計図)」と書いている。ソースコードは「アルファベットや数字の文字列」であって「図」ではないのでだめだ、というのは、正確ではあるが杓子定規で、野暮である。新聞における「設計図」とは、その通りに作れば誰でも同じものが作れる、いわば「設計図のようなもの」とでもいうべき、ある種のシンボリックなものを指す用語だ。「容疑者特定の鍵」の「鍵(決め手)」と同じ、抽象的な概念である。一般紙においては特に、最新の用語を知らない読者が最新の事件をすばやく正確に理解できるよう、新聞ならではの「予約語」を駆使している。記憶媒体に入っていたのは件のプログラムの作者本人しか知りえない情報だったということを、「ソースコード」を知らない人にも正確に伝えるための工夫である。

 なお少し書き留めておくならば、産経新聞に載った記者会見の一問一答を見る限り、捜査1課長氏が力を込めて(あるいは棒読みで)「ソースコード」「ソースコード」と連発したのではないかと想像される。何が何でも紙面に「ソースコード」と書かねばならない、という気持ちに記者がなったとしても、おかしくない。密売薬物の末端価格にしてもそうだが、公的発表がフォーカスした部分に、紙面でも同じくフォーカスしていればそれでよいのかどうかは、よくよく考えたいところである。

・個人のブログ「『ただちに・・・とはいえない』という言葉」(2011年6月15日)
 http://d.hatena.ne.jp/Toshi-shi/20110615/1308088395

・個人のブログ「「タウリン1000mg」と「末端価格3億円」 」(2012年12月3日)
 http://ashes.way-nifty.com/bcad/2012/12/1000mg3-80c6.html
posted by tht at 23:00 | コメント (0) | トラックバック (0) | ながめよみのすすめ
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