2006年7月2日

脳と質感、透明感と浮遊感

 フリーソフトの新作作りが思うように進んでいません…。

 以前にお知らせしました半透明表示のできる時計も作りかけのままです。需要が読めないものとしては、スクロール+ボタン型のランチャー、オンラインのテキストや画像も貼れる付箋、ちょっと脳を鍛える大人のtsトレーニング…切符に印字されている4桁の数字が10になる計算を考えるゲームなどなど。

 脳トレ(?)といえば、簡単な計算ほど効くそうで。10になる計算(「2134」→「2×1×3+4」)を考えるのは計算を解くより複雑で、反復には向かないかも知れませんね。ちなみに、この遊びは電車に乗って塾へ通う小学生の間で広まっていたものです。定期券は持っておらずイオカードでは大人運賃が引かれてしまうため、必ず切符を買うのです。10になれば「アタリ」で、ならないと「ハズレ」。ただ、ハズレでもハズレであることを証明する必要があり、一応は試行錯誤が必要なのがミソです。

 半透明表示の時計の話に戻りましょう。

 「透明であること」と「透明感があること」は別なのです。単にAPIで半透明表示にしただけでは、まったく透明感は出ません。プログラマー的には半透明表示に対応しただけで「透明時計」と称するのもOKでしょうが、デザイナー的にはNGでしょう。フリーソフトの作者的には、どの程度「透明感」が出せればOKとするか迷うところで、これが完成に至らない主因だったりします。

 まったくの余談ですが、とあるゲームソフトのCMにアノ時計が…。

http://p3.atlus.co.jp/special/tvcm01.html
※CERO「B」(12才以上対象)

 実物にはない秒針が描かれているのは演出のためでしょうが、きちんとスムーズ運針(スイーブ運針)になっているのが何ともリアル。さらには窓の部分に何かの光が映り込んでいるのまで描き込まれており、透明感が表現されています。

 厚いアクリルの奥に光るデジタル時計が仕込まれていて、文字が浮かんで見えるという不思議な時計があります。お店で見たものと同じ製品かはわかりませんが、確かこれだったような…というものをネット上でも見つけました。

http://www.visionscoax.jp/watch/acrylic_lcd_clock/index.html

 実は、半透明の時計を作り始めた最初のきっかけは「曲げられる設備時計」ではなく、この時計だったのでした。それ以来、何となく透明系のものに興味を引かれる状況が続いた後、最終的に「曲げられる設備時計」の記事で火をつけられた格好になります。

 透明感というものが映り込みによって表現できることは、風景写真を撮っていても実感できます。水面やガラス面の反射がきつすぎる場合には偏光フィルターを使いますが、映り込み=好ましくないものと決まっているわけではありません。わざと映り込ませることもあります。

 メタリックな表面をしている商品の撮影では、周りに白い布を貼り、白い色を映り込ませたりするそうです。透明感だけでなく、金属の光沢感の表現においても映り込みがカギになってくるわけです。

 かつて3DCGで遊んでいたとき、球体に金属光沢の属性を貼り付けたのに表面が真っ黒になってしまって不思議でした。周りに白っぽい背景なり環境光なりがないと何も映り込まず、金属は真っ黒に見えてしまうんですね。

 時計のウィンドウにデスクトップの一部を映り込ませるようなことができれば、より一層「透明感」が演出できそうな気がします。しかし、そんなことをリアルタイムでやると重すぎて使いものにならないでしょう。

 これからの時代に重要なのは「質感」だ…というのはアパレル業界が言い出したことのようですが、いわゆる「流行色」だけでは通用しなくなって、残ったのは質感とのこと。オーディオやPC関連では、2000年ごろにスケルトンが、その後はアクリルやステンレス、アルミの質感を前面に出したデザインが流行しました。

http://www.elecom.co.jp/news/200410/good-design/index.html
http://www.elecom.co.jp/news/200510/good-design/index.html

 こちらでは、マウスのカラーバリエーションの一つにズバリ「ガラス」というのがあります。流行の過ぎ去った後に流行の言葉を発するのは憚られるものです。スケルトンの売れ残りをスケルトンと呼ばずに売るための苦肉の策だったのかも知れませんね。

http://www.elecom.co.jp/news/20011031/popgrast/popgrast_index.html

 やたらゴツゴツしたデザインの携帯電話もありました。

http://k-tai.impress.co.jp/cda/article/news_toppage/20810.html

 さらに質感の追求は進み、浮遊感のあるハーフミラーを採用した製品をPanasonicが出していたりします。携帯電話や時計にも、浮遊感のあるデザインを採り入れた製品が散見されます。浮遊感というのは厳密に言えば素材の質感ではないわけですが、色を超えた感覚という意味では同じ方向の延長線上にあるといってよいでしょう。

http://panasonic.jp/d-audio/570v/design.html
http://www.au.kddi.com/seihin/kinobetsu/seihin/neon/index.html
http://www.importshopaqua.com/others/items/LC1005.html

 この「質感」というのは、脳的にはなかなか難しい現象のようです。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/tg/detail/-/books/4104702013/reviews/

 触ったときに直接感じた質感だけでなく、写真を見ただけでも質感を想像することができたりします。注射という文字を見ただけでアルコールのにおいが思い出されたりするのと似ているような気もします。果たして質感というものがどう認知されるものなのかと考え始めると、足元から地面が溶けていきそうな、底無し沼に足を踏み入れたような錯覚に襲われてしまいます。自分で自分の靴ひもを引っ張って脱出するしかなさそうです。

 というわけで、コンピュータの話。これから作る素材の質感をシミュレートしたり、CGで表現したりするのに取り組んでいる方がいらっしゃるようです。

http://www.cgarts.or.jp/frontline/vol6/index.html

 > CGやVRを接点にコンピュータを用いて誰もがレオナルド・ダ・ヴィンチをめざせる時代です

 ダヴィンチといえば、昨日の朝日新聞夕刊「科学とアート」に次のような一文がありました。

 > 複雑な水の流れが解析されると、レオナルド・ダビンチの水の描写の正確さが実証された。

 質感を科学的に解明したり、CGで再現したりするのは難しくても、絵として表現することは大して難しいことではないように思えてきます。脳が勝手に「こういうものはこう見えるはずだ」と処理してしまうのに抗って「よく見るとこう見える」と見ていく、要は観察力次第なのではないでしょうか。

 ただ、科学とその他の分野の間には意識して明確な線引きをしておかないといけないでしょう。油断すると中世に逆戻りしてしまいかねません。既にアメリカでは進化論を認めないなどの動きも出ていて、とても危なっかしい状況です。科学というのはその名の通り分けることで発達してきたわけです。

 何でもかんでも「学際的」というのが流行しましたが、際(きわ)というのは境目のこと。境界線あっての学際なのですから、境界線が溶けてしまうような「どんぶり研究」になってはいけないわけです。科学とアート、もっと他の分野も、互いに干渉し過ぎないのが望ましい姿ではないでしょうか。

 という意味では、「脳を鍛える…」も「ゲーム脳」も、科学の現場から飛び出し過ぎなのかも知れません。
posted by tht at 13:38 | コメント (0) | トラックバック (0) | tht-software 新着情報
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。
この記事へのTrackBack URL
http://blog.sakura.ne.jp/tb/925083
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。